その昔は金沢は泥亀のあたりから釜利谷の赤坂〔現在の釜利谷十字路の辺り〕までは海の入り江になっており、飲み水に使えるような河川がなかったとのことです。
そこでこの付近に住んでいた人達は井戸を掘って生活用水にしていたようです。
そこで、良い水の出る七つの井戸が[金沢七つ井戸]と呼ばれるようになりました。
先日、称名寺の赤門を入った〔食事処ふみくら〕の左奥にある個人宅の庭の中にある七つ井戸の一つである①[亀井]を見せてもらいました。

石で組んである井戸は往時の原形をとどめているようでした。現在は蓋をして使われていませんが地下から水も出ており写真のパイプは水道が引かれるまではポンプで汲み上げて生活に使用されていたようです。
尚、道路から見ることも出来ますが、そばで見たい方はあくまでも個人宅の庭の中ですからお断りして見せてもらってください。

金沢文庫駅から称名寺の赤門の手前100M位のところ左に入ると突き当たりに金沢文庫の博物館が見えます。

左側に自動車が停まっているところから人が歩いているあたりに小さな橋が架かっていました。

これが[亀井橋]で現在は暗渠になって分かりませんが左側は道路が急に深くなっており今でも水が流れれば小川になりそうな感じがします。
右手のほうは蓋がされていますが水の流れの音は聞こえます。

この小川は称名寺の池から旧16号を通り泥亀新田に流れていました。現在はほとんどが暗渠となっていますがところどころに小川を見ることができます。
ところで君が崎交差点から旧道に入ったあたりを字名(あざの名)で走川【はしりかわ】といっていましたがこの川の名前と関係があるのかどうかは分かりませんが・・・
ところで七つ井戸ですが、称名寺から寺前八幡宮にでる寺前二丁目に②[御井戸]又は[大井戸]が、京急の金沢文庫駅から横浜に向かって線路の左側に③[染井]があったようで現在はどこにあったか確認はしてませんが[染井公園]が谷津町にあります。
西口を出た横浜銀行の裏あたりに④[白井]があり、そこには金沢温泉[白井館]という旅館もありました。
釜利谷には赤井温泉の入口、正法院の庭に⑤[赤井]があり、さらに西に行ったところに⑥[小中井]が、金沢八景駅から横須賀方面に向かった金龍院の入口付近に⑦[荒井]があったようです。
[小中井]は畑の中にあったようですが今は埋められてしまったようで地名に[御仲井]という字名があり、[荒井]は16号拡幅工事の時埋められたようです。
白井は白くにごっていて赤井は赤くにごった鉱泉と思われるので飲み水には不向きだったのでは?
大井戸と赤井は残っているようなので機会があれば訪ねてみたいと思います。

[参考資料として区政四十周記念「金沢ところどころ」昭和63年を使わせてもらいました]
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