ポールウォーキングで金沢七井めぐりしました
前回の亀井案内につづき、今回金沢の七井の紹介です。
3月23日(土)ポールウオーキングで金沢七ツ井めぐりをしました
実際に井戸を見られたのは2ヵ所だけでしたが昔あったであろうといわれる場所の近くを歩きました
京急金沢文庫駅から横浜に向かって二つ目の踏み切りです、ここを渡って北に向かったあたりに染井があったようです
染井の名前を残した染井公園です、現在この中には愛児園が出来ていますが以前は横浜国大の寮がありました
浅間神社です、今から1000年位前の寛仁年間に御堂関白藤原道長が金沢に来遊したとき〔来てないと思いますが?〕能見堂から金沢を見たときすぐ前の山を見て桶に似ているので塗桶山と名付け浅間大社を勧請したといわれています。
富士山と同じ神様〔木花咲耶姫このはなさくやのひめ〕が祀られています、全員が神社まで登り記念写真を撮りました、
今でも障害物が少ないので昔の金沢八景を偲べるのではないかと?駅から5分位で行けるので皆さんも同じ神様なので富士山に登ったつもりで行ってみたら如何ですか、
正法院と裏にある弘法大師が掘らせたという赤井です、
住職の奥さんに許可を得て見せてもらいました、
鉱泉で疫病の治療に使ったようです、現在はこの奥200m位に赤井温泉があります、
金沢文庫駅西口を出たあたりに白井がありました、
昭和中頃まで金沢温泉白井館という料亭旅館がありましたが現在は開発で跡形もありません 称名寺の池から流れていた走川跡の暗渠です、この川の跡をたどって称名寺の方に遡り亀井橋の跡をみて歩きました、
称名寺の赤門の左奥ににある亀井です、
個人の庭の中にあるので許可を得て見せてもらいました、石作りの井戸で原型をとどめているようです
大井戸がこの写真の坂を下りた左側にあった様ですが今はどうなってるか確かめていません
残り二つはお中井と荒井ですが釜利谷東に字名で御仲井という地名が残っているのでそのあたりにあったのではないかと思います、
荒井は金沢八景駅南の金竜禅院の近くで今から7~800年前、室町時代に六浦で回船業をやっていた豪商荒井平次郎光善という人の邸宅の中にあったようですが16号拡幅のとき埋められたとか、
これらの井戸は水道が引かれるまでは使っていたようなのでみんな昭和に入ってから埋められたのではないかと想像できます。
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