古木が語る歴史Ⅴ
かつて西柴団地内柴・金沢町に大きな別荘を構えていた大橋新太郎氏とはどのような人物でしょうか。
(別荘のあった文庫小入り口交差点付近)
大橋新太郎氏は、文久3年(1863)、7月に越後長岡藩の城下で生まれました。7月は薩英戦争が始まった時で、幕末の混乱期でした。
5歳の時(1868)には、長岡藩と新政府軍がぶつかる北越戦争が勃発。父佐平氏は、命を狙われながらも戦争に反対したため、家族が危機に瀕することは幾度もあったようです。
父佐平氏は、荒廃した長岡の復興のためには、教育によって人材育成が大事であるとして、長岡小学校の開校に尽力します。
新太郎氏は過酷な幼少期を乗り越え、勉学に励み、14歳には上京します。
徳川家達さんなどが学ぶ同人社に入学し、勉学はもとより、人脈も多いに築かれたそうです。
(大橋新太郎氏似顔絵のつもり。)
父佐平氏を助けて、出版社の博文館などを支えてきた新太郎氏は、図書館の開館直前に亡くなった父佐平氏の遺志を引き継いで、大橋図書館を完成させ、発展に尽くしました。
ところが、大正12年(1923)の関東大震災で、建物と3万3千冊の蔵書が消失。
しかし、4万冊を有する本館を再度建設。昭和17年(1942)には蔵書17万冊になる大図書館になりました。
(三康図書館の図書類。大橋図書館の所蔵図書も引き継がれています。)
図書館は戦災は免れたものの、博文館の経営不振の影響もあり、昭和24年(1949)には建物を譲渡せざるをえなくなり、昭和28年(1953)には解散となってしまいました。
(三康図書館も大橋図書館と同じ私設図書館。東京都心とは思えない閑静な空間です。)
大橋図書館の図書一切を引き継いだのが、西武鉄道株式会社の創始者である堤康次郎氏でした。やはりと言うべきでしょうか。
当初は豊島園での設立を予定したようですが、大本山増上寺との協力で、三康図書館として現在の芝公園に昭和32年(1957)に設立されました(つづく)。
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