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称名寺市民の森を歩こう(行田の謎)Ⅶ

行田(ぎょうた)という字名があった西柴。

「経塚(きょうづか)のある田」が「ぎょうた」になったとする説を追い、前回のⅥでは、「行田の通り」がある称名寺市民の森を訪ねました。

Img_2710                            (称名寺市民の森案内板を撮影)

観音広場と百観音広場の間に、二つの石塔が路を挟むように建っています。

Img_2695                      (観音広場側から見た二つの石塔。奥に百観音も見えます。)

Img_2690

さて写真では向かって左側(下から歩くと右側)にある高い方の石塔には、「海中出現観世音」と記されています。

Img_2691_2 石塔の側面には、ご覧のとおり「昭和10年10月建立」とあります。

昭和10年と言えば、10月23日に称名寺で北条実時660年忌大法会が行われた年です。

そして、大橋新太郎氏が金沢山上に八角堂を建立し、長浜観音様を祀ったのです(称名寺市民の森を歩こうⅢに関連記事があります)。

推測ですが、この石塔は昭和10年に八角堂に建立され、観音様が移されたため、現地に移設されたと思われます。

さて、そのお向かいにある背の低い塔を見てみましょう。

Img_2686 ありました。経塚と記されています!裏側を見ると

Img_2697 うーん。何も記されていない感じです。

ただし、見た目も感触もどう見ても深い歴史性が感じられません。

あくまで推測ですが、向かいの石塔と同程度の古さのように思われます。二つの石塔は同じころに移設されたのでしょうか。

そう考えると、経塚は他の場所に存在した可能性もあります。、その証として石塔が建てられたのかもしれません。

残念ながら現時点ではこの先は謎です。

行田(西柴)の謎を探る旅(ご近所でしょ?)は、平成23年からも新しいシリーズで続けたいと思います。お楽しみに。

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