称名寺市民の森を歩こう(行田の謎)Ⅶ
行田(ぎょうた)という字名があった西柴。
「経塚(きょうづか)のある田」が「ぎょうた」になったとする説を追い、前回のⅥでは、「行田の通り」がある称名寺市民の森を訪ねました。
観音広場と百観音広場の間に、二つの石塔が路を挟むように建っています。
さて写真では向かって左側(下から歩くと右側)にある高い方の石塔には、「海中出現観世音」と記されています。
石塔の側面には、ご覧のとおり「昭和10年10月建立」とあります。
昭和10年と言えば、10月23日に称名寺で北条実時660年忌大法会が行われた年です。
そして、大橋新太郎氏が金沢山上に八角堂を建立し、長浜観音様を祀ったのです(称名寺市民の森を歩こうⅢに関連記事があります)。
推測ですが、この石塔は昭和10年に八角堂に建立され、観音様が移されたため、現地に移設されたと思われます。
さて、そのお向かいにある背の低い塔を見てみましょう。
ただし、見た目も感触もどう見ても深い歴史性が感じられません。
あくまで推測ですが、向かいの石塔と同程度の古さのように思われます。二つの石塔は同じころに移設されたのでしょうか。
そう考えると、経塚は他の場所に存在した可能性もあります。、その証として石塔が建てられたのかもしれません。
残念ながら現時点ではこの先は謎です。
行田(西柴)の謎を探る旅(ご近所でしょ?)は、平成23年からも新しいシリーズで続けたいと思います。お楽しみに。
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