ペリー提督と柴の深い仲Ⅴ(2010年7月14日の記事です)
1853年7月14日
柴沖にペリー艦隊が初めて碇泊したのが、157年前の今日です。
翌日7月15日
提督の命令で三隻のボートが平潟湾の奥の方へと入りました。
好奇心で近寄ってくる住民とも親しく接し、ボートに乗せたりタバコを吸いあったりして交流が生まれました。
「士官もその乗組員も日本人の暖かさとその景色の美しさの虜になっていた。確かに目に入る限りでは、これ以上美しい景色はなく、船に乗っていてもあたりの海岸を眺めて飽きることはなかった。」※2
ペリーの艦隊は翌1854年3月に柴沖に戻ってきます、ペリー自ら夏島などに上陸し、植物採取をしたりして、名残を惜しみました。
ペリーも愛した柴の海。海を眺めて157年前に思いを馳せてみませんか。
※1 横浜八景島のアメリカンアンカレッジ記念碑の絵を撮影しまし
た。
※2「猪口孝が読み解くペリー提督日本遠征記」猪口孝監修NTT出
版1999年10月発行65ページより引用
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コメント
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私は、ペリーは浦賀と思い込んでいたので、すごいびっくりというか感激!
この小柴にぺりーの黒船艦隊が来たのか、ちょっとうれしい気分。
小柴の海に黒船も浮かばせていただいたので、すごーくよく分かりました。
(これ、どうやって作ったのかしらと思いながら)
我が家の2階から小柴の海が見えるのです。7月14日は想いを馳せながら、しみじみと見入った次第です。
ありがとうございました。
投稿: にこにこ | 2010年7月19日 (月) 06時55分