ペリー提督と柴の深い仲Ⅱ
金沢区役所にある、市民活動支援センターには、入り口左側に「江戸時代の金沢八景」(作者 村田 啓輔さん、寄贈者 相川忠久さん)のジオラマが展示されています(写真)。
市民活動支援センターのご協力を得て、写真撮影させていただきました。写真を活用して、ペリー提督の記憶を辿ります。
1853年(嘉永6年)7月14日午後のことです。
「さて艦隊は、以前の測量でベント大尉が目をつけていた投錨地点へ向かった。断崖の岬を視界に入れつつ西に舵をとり、午後には投錨地についた。提督はここを「アメリカ停泊地」と名付けた。(訳注小柴沖=横浜市金沢区の沖合にあたる)。」
(「猪口孝が読み解くペリー提督日本遠征記」猪口孝監修NTT出版1999年10月発行より引用)
「断崖の岬を視界に入れつつ西に舵をとり・・・」これは柴の旧海岸線を指していると思われます。ジオラマでは右方向に柴の崖が見えます。その奥の台地が柴や西柴です。
左奥の内湾は文庫駅付近から瀬戸まで広がる海であり、絶景を演出していたに違いありません。
「海岸は白い岩の険しい絶壁が続き、その頂上は土なので緑の灌木やツタが崖から垂れ下がっている。波が崖の根元を洗い、あちこちに海水が出入りする洞窟をつくっていた。」(同記)
現在の柴の崖を撮影しました。周囲は埋め立てられ柵で囲まれています。改めて眺めると険しさがひときわでした。ペリー提督の記憶にも残ったことでしょう(つづく)。
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投稿: さくら | 2010年6月20日 (日) 08時42分